技術がいど2012-201501


>> P.221

ほっと一息古都の手仕事を訪ねる~メイド・イン・キョウトの現在第7回先人の足跡をたどり、真の技を伝承する――一閑張アトリエ夢一人型や籠などに和紙を張り重ね、柿渋や漆で仕上げ訓がある。その条文を、以下に紹介しよう。いっかんばりる「一閑張」。江戸時代初期(寛永年間)に大陸から一、四十になるまで己の作品を世に問うてはならぬ一、品格のある作品を作れ一、作品は小手先で作るものではない己を磨け一、物を大切にできぬ者は人も大切にできぬ人を大切にできぬ者は物も大切にできぬ一、地位名誉を追うべからず人となりを見るべしさすれば自ずと道は開けん一、血筋にこだわるべからず技術を以て引き継ぐを旨とすべしかなる月日が流れしも、人の心は永久に変わらんい渡来した明の学者、飛来一閑ひらいいっかんが創始した技法である。もとは人々の生活道具を長持ちさせるために生まれた技法だったが、一閑が京都・大徳寺僧侶の招きに応じて京都を訪れた際、その作品が千家三代・千宗旦の目に止まったことから、一閑張は大きく二派に枝分かれすることになった。せんけじっそく一方は、千家十職(茶道に関わり、千家に出入りする塗りや指物など十の職家)として茶道具を作ることとなった飛来一閑飛来家。それに対して、元祖のひらいひき流れを汲んで生活道具を作り続けた一閑は、ときの112代霊元天皇から「泉王子」の名を受け、以来、せんおうしひらい飛来一閑泉王子家を名乗り、現代まで代を重ねて技術を引き継いできた。泉王子家の当代は、一四代家元・尾上瑞宝さんである。尾上さんのアトリエ「夢一人」の窓からは、初ひらい代・飛来一閑が京都での活動をスタートさせた縁の寺、大徳寺の門を望むことができる。伝え継がれてきた家訓と技泉王子家では、制作の技術とともに、この六カ条を代々引き継いできた。四十歳に満たず若くして代を継いだ者は、見聞を広めるために、諸国を旅して回ったのだという。だが、新幹線も飛行機もない時代のことだ。数年単位で旅に出たまま帰らないのだから、旅の間に当主の容貌も変わるだろう。そこで、当主が旅から戻った時には、門の前でこの六カ条を暗唱できるか飛来一閑泉王子家には、代々伝わる六カ条の家どうかが、本人確認の手段としても用いられた。西林寺の住職に命名されたという屋号の看板。竹籠や笊に貼り重ねて制作されたもの、和紙だけで造形され「ひとりひとりに夢を」の意だそう。たものなど、その趣きや風合いもさまざま。


<< | < | > | >>