技術がいど2012-201501


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使い道がなく眠っていた古い長持に引出しを付けて、一閑張を施し、箪笥として使えるようにしたもの。作品展会場にて、桶に一閑張を施して花入に。床の間の壁には、泉王子家の六カ条の家訓が掲げられている。ら、目を凝らしてみれば、どこかに紙の継ぎ目があるは一閑張の歴史は、現時点で400年を数えたところ。だず――。ところが、尾上さんの一閑張には、皺も継ぎ目が、一閑張の道具は直しをしながら伝え継いでいけば、も一切見当たらない。400年どころか、この先さらに長い時を生き続けることこれもまた、正統な一閑張の技の要のひとつであになる。る。木型の曲線にそって、あるいは竹籠の目に沿って、紙の重ね方ひとつにも何万通りもの技法がある一閑張の精神を伝える旅という。一閑張の継承者は、代々、諸国を旅して見識を広げながら作品制作を行ってきた。しかし、尾上さん自身に「現代生活においては、化学接着剤が便利な場合もあは旅の経験がない。そのことについて、先代はこう言っるでしょう。それらをすべて否定するわけではありまたという。「交通機関が発達してどこにでも簡単に行けせんが、少なくとも一閑張には、化学接着剤は全く無る今の時代、そんなことは問題にならない。それよりも、用のものです。また、紙で造形する作品には皺や継ぎあなたは色々な職種の方と出会い、経験を積むことで目があって当たり前かというと、それも違います。こう旅をしたのではないですか」と。した素材と技術は、伝統工芸一閑張の真髄とも呼ぶべき部分であって、先人たちが代を経ながら残し、語尾上さんは、学校を卒業すると銀行に就職した。銀り継いできたものです。誤りを見過ごしてはおけませ行員の夫と知り合って結婚した後は、退職して夫の実ん」家の家業を手伝い、幅広い職種の方と仕事を通じて関わった。尾上さんの元には、一閑張の古道具も多数持ち込まれてくるそうだ。ボロボロに壊れた道具も、尾上さんが「六カ条の家訓には、幼いころから毎日、身近に接して修理して張り直すと見事に蘇る。尾上さんは、「先人たきました。また常々、世の中を縦割りではなく横割りでちの手掛けた大切な作品だから、捨てられてしまう前見ることのできる人間になれ、と教えられてきました。に、何とか手元に呼び戻して修理したい」という。でもね、正直、若い頃はピンとこなかったんです。それが歳を取るたび、色んな方と出会うたびに、ああ、一最近では、徳川8代将軍吉宗が作らせたという天体閑の精神は凄いものだったんだ、とハッと気づかされ望遠鏡が九州で発見され、近く、尾上さんが現物を見ることが増えていきました」に出向く予定だという。軽く丈夫な望遠鏡作りは、当時から一閑張の得意とするところ。伊能忠敬が地図の測そうこうするうちに、尾上さんは40歳になっていた。そ量に使った望遠鏡も、やはり一閑張の道具だったといれまで先代から、技術は教わっていたものの、一閑張うから驚きだ。を継ぐように言われたことは一度もなかった。「四十に


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