日本の素材百科
第10回

絹と西陣織

町じゅうが華やかなお祝いムードに包まれる日本の「成人式」は、世界的に珍しい行事のひとつだ。また、日本女性が晴れ着として身に付ける振袖のバリエーションほど、多種多様に粋を凝らした色柄や素材の民族衣装も、他には類を見ないだろう。

着物の伝統柄は、単に見た目の美しさから選ばれているだけのものではない。たとえば長寿を願う鶴、逆境に立ち向かう松竹梅、健康を願う亀甲紋に、円満と調和の象徴である七宝。希少な高級品の「絹」は、こうした祈りや願いを描く特別なキャンバスとして選ばれ、人々の人生の大切な節目を今も彩り続けている。

「生糸と絹」―日本の近代化を支えた輸出の花形産業

日本にも「シルクロード(絹の道)」が存在したことをご存じだろうか。東京都八王子市と神奈川県横浜市を結んでいたという「神奈川往環」のことだ。従来から、八王子市は大量の生糸や絹製品の集散地として栄えていたが、1859年に横浜港が開港したのち、生糸は瞬く間に日本の主力輸出品となった。八王子市から延びるこの街道は、ヨーロッパやアメリカへの旅立ちの起点だったのだ。

政府は主力輸出品の生糸の品質をさらに向上させるべく、1872年、フランスの近代技術を導入した官営模範工場として富岡製糸場を開業した。生糸の海外貿易は、明治、そして大正時代になってもなお、絶頂期と呼ばれるほどの出荷額を継続した。生糸と絹は、近代化の過渡にあった当時の日本に莫大な外貨をもたらし、発展を促した立役者だったのだ。

ただし、昭和4年の世界大恐慌で生糸の相場は大暴落。ちょうど日本国内では重工業品の生産比重が増しており、一方でナイロンやレーヨンなどの化学繊維のニーズが高まったこともあって、日本の生糸の長い黄金時代は一転、終焉を迎えることとなった。

いま、世界の生糸生産のうち約80%を担うのは中国で、次いでインドやベトナムだ。日本の着物や帯の素材となる生糸も、9割近くを輸入に頼っているのが現状である。



養蚕、製糸を経て絹織物へ

繭玉

養蚕農家が、カイコガの幼虫である蚕を飼って繭を採る産業を「養蚕業」と呼ぶ。さらに、これらの繭から生糸を作るのが「製糸業」だ。

蚕の繭は、蚕が体内で作り出すたんぱく質フィブロインを主成分としている。一個の繭から採れる糸の長さはなんと800~1,200mにもなるが、繭から引き出した生糸は製織材料としては細すぎる。そのため、数個の繭からほぐした糸を撚り合わせることで一本の糸にする。これが生糸である。

この時点の生糸はゴワゴワとした光沢のない繊維の束に過ぎないが、生糸を精錬液で煮ると、繊維表面に付着したセリシンという成分が取り除かれ、しなやかで白く輝く絹糸へと生まれ変わる。正絹(本絹)とは、こうした絹糸100%で製織された生地のことだ。

絹素材は肌触りが良くて着心地も軽やか、吸湿性・放湿性ともに優れており、夏に涼しく冬は暖かい。絹が、日本に限らず世界中の婚礼衣装や礼装、いわゆる「晴れ着」のための高級素材として用いられてきた理由は、なんといっても光沢のある優雅な見た目と、衣服素材としての高い機能性だ。

近年、扱いやすく安価な化学繊維による手軽な着物も人気を集めてはいるが、それでも依然、礼装向けの着物と帯には、正絹による品物が選ばれ続けている。



専門性の高い分業による高級品―「西陣織」

上:デザインの起点となる「図案」
中央:図案は方眼紙上に写し取られる
下:染色済の絹糸

西陣織といえば、京都市で生産される高級絹織物の代名詞だ。着物や帯のほかに、能衣装、和装小物、ネクタイやショールなど、その用途は多岐にわたる。

西陣織製織の起点は、メーカーの企画と発注に基づいて描かれる図案、いわゆるデザイン画だ。図案は、さらに紋意匠図という方眼紙上の設計図に写し取られ、現代ではコンピューターでデータ化されて後の工程へと引き継がれる。また、このデザインに基づいて、撚糸や糸染め業の職人から製織に必要な材料を引き揃えていく。

ただし、設計図と材料が揃っても、まだ織りはじめることはできない。必要な長さと本数の経糸を織機に準備する(整経)段階や、織機、ジャカード、綜絖、筬、杼といった機の各部位のメンテナンスなど、多くの専門職人が織機の準備工程に携わって、織り手ははじめて織機を動かすことができる。織る工程は、全部で15~20とも言われる各工程のうちのごく一部を占めるに過ぎない。

この「分業」こそが西陣織のキーワードだ。ひとりの職人は、ひとつの職域だけに集中して知識と技術を深め研ぎ澄ましていく。熟練の職人の手だけをリレー方式で繋ぐことで、どの工程においても妥協なく、最高品質のものづくりをすることが可能になるのだ。

描くように織る。豊かな意匠と表現力

西陣織は、先染めの糸を使って精緻な文様を織り出す紋織物だ。凹凸のある立体的な織りは特徴的で、世界でもあまり類を見ない。糸が織り重なってつくる立体感は、繊細な色の濃淡や遠近感まで表現することができる。

着物や帯には、その格に見合った美の表現が必要不可欠とされる。西陣織の着物帯といえば、格の高い礼服向けの高級品。古典柄には、正倉院や法隆寺所蔵品の意匠、琳派の絵画のような美術作品から引用したモチーフがよく用いられる。とはいえ、美術作品の単なる模写ではない。縦(経)と横(緯)の糸の組み合わせでつくる織物は、多くの制限の枠内で表現せざるを得ないからだ。

西陣織は、図案ひとつとっても、図案=下書きという言葉から私たちが想起するようなラフスケッチとはずいぶん様相が異なる。図案家は、和紙の上に墨で下絵を描き、その上から日本画用の泥絵具で着彩する。ニカワをまぜて溶いた絵具によって織地の浮き沈みを表現し、金や銀の箔部分の輝きも完成品さながらに描き入れる。まるで絵画のような完成度だ。

それでいて、この図案には多くの設計情報が盛り込まれているというから興味深い。西陣織の経糸は、数百本から最大限でも8,000本。多色になるほど緯糸の数は増えるし、コストも膨れ上がる。また、使える組織と色数にも限りがある。図案家は、こうした条件を考慮しながら、帯のための構図と色を選び、織りに必要な組織、材料、色数が読み取れるように描くのだという。

多くの人の手を経て技術の粋をつぎ込み、丹精込めて織りあげる。これこそ西陣織の輝きが、ひとの人生の大切な節目を飾るに値する所以なのだろう。

※組織(そしき):経糸と横糸の交差状態を指す言葉。織物のパターンのこと。

西陣織、振袖の帯


お話をうかがった人

「株式会社 絲屋善創」加藤 直史さん

加藤さんは、祖父が大正13年に創業した老舗帯メーカーの息子として生まれた。本家から独立し「絲屋善創」を興してから、もう20年以上になる。

手掛けるのは、主に古典柄の礼装用袋帯だ。企画を図案家に相談し、自社オリジナルの図案をもとに紋意匠図をつくり、生糸などの材料調達も行い、整経から織りはじめるまでの段取りをして、織り手さんにお任せするまでを一貫して自社で担う。織りあがった製品は再び加藤さんの手に戻り、整理の後に仕立てを行って、ようやく卸問屋など市場への流通経路に乗ることになる。

西陣織工業組合が発行する1社にひとつの証紙番号は、現在2,500番以上になるが、今でも営業を継続しているのはわずか200社以下。着物を着る人が減り、高級品を買う人も減り、作り手は高齢化している。「売れない」時代に入ったいま、加藤さんは、自ら積極的に小売店や催事の売り場に立つようにしている。

「小売店さんにはよく凄腕の販売員さんがいて、お客様の年齢、体格、肌や目の色、好みをすべて把握し、着物知識に限らず幅広い教養があり、有職文様に慶弔文様、またそれらが作られた時代背景や由来にも明るかった。同じお客様は一人もおられないから、提案すべきものもみな違うんやと教えられましてね」。

そもそも西陣織は、長きにわたって幾度も時代の変化を生き抜いてきたタフな産業でもある。絲屋善創でも、モダンな柄や帯地のバッグなどで新たな領域を開拓しているが、一方で、伝統的な帯こそが自らの本分という自負もある。

「お嬢さんには昔ながらの良い帯を、という親御さんの声は根強くあります。売り場でお話ししていると、自分に何を期待されているのか、何を作るべきなのかがよく見えるんです。変わるべきことと守るべきことを見極め、先人が知恵を絞って作り上げてきたものを、大切に次の時代に繋いでいかなければ」。

先人らが踏み固めて築いてきた道の続きを、加藤さんは紡いでいく。


(取材・執筆/石田祥子  記事監修/加藤直史さん)
参考文献:『日本の伝統的織りもの、染めもの』 三宅和歌子 編著(2013年/日東書院本社) 『日本の美意識で世界初に挑む』 細尾真孝 著(2021年/ダイヤモンド社)




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