技術がいど2012-201501


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ほっと一息水辺の旅シリーズ-水と闘う街、ベネチア-かつて潟(かた)だった入り江に杭を打ち、土地をの上に造られた、言わば、人工島であることが皮肉造り、誕生した街「ベネチア」。今や世界を代表するにも人口減の原因になっているようだ。大きな魚のよ水辺の観光地として訪れる人々を魅了し続けている。うな形をしたベネチア島の中には数多くの水路が造ベネチア本島の人口は約6万人だが、年間訪れる観られ、狭い道は賑わい、住民と観光客が行き来して光客数は2,000万人近い。1日約5万人が訪れている。その水路も小道も家も止まらぬ地盤沈下の影いる。その人気と逆行して、ベネチアの人口は減少し響を受け続けている。加え、海面の上昇が拍車をかているという。水辺の街の魅力と忍び寄る水の脅威ける。水辺の観光地として人気のベネチア。その一を探ってみた。方、島内で住み続けてきた人々は、「水」の影響を受け入れながらも将来への想いは複雑なようだ。<人口減少を招く「水」の脅威>欧州の水辺を訪ねると、水辺に住むことを最高の<ベネチアの歴史始まった離島、トルッチェロ島>贅沢としてとらえる人々が多い。ただ、ベネチア島はベネチア島サンマルコ広場に近い桟橋から離島を状況が違っていた。それは、ラグーナと呼ばれる潟巡る定期船を利用し、干潟の姿を残す、トルッチェロ島を訪ねた。ベネチアの住民が抱える水への悩みの背景が少しでも理解できるのでは、と思い巡らすうち船は50分ほどで到着。船着場の近くに並ぶ家々がカラフルだ。訊けば、霧や海が荒れた時など地元漁師が自分の家をいち早く見つけ出すことができるよう色づけをしているという。島を一望できる高い塔から見下ろすと潟が広がっていた。5世紀当時、ゲルマン人の侵略から逃れた人々がこの湿地帯に住み着いた。だが、さらに奥地へと島民は追われ、今のベネチベネチアの街並み。狭い島に家々が密集する。ア本島へ。干潟からそんな歴史が見えてくる。トルッチェロ島周辺の砂州。ベネチア中心地「サンマルコ広場」の水管から迫る海水。


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