技術がいど2012-201501


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は、括り手、染め手など多くの人々の間を何度も行きターネットで、急躍進するブランド「SOU・SOU」のこと来することになる。豪華な振袖ともなれば、1年、2年を知る。SOU・SOUは、日本の地場産業との数々のという年月をかけてようやく一枚を仕上げることもざコラボレーションによって伝統のものづくりをリデザイらだという。その一枚の布地に積み重なった重みは、ンし、モダンな和装を発表し続けることで注目を集め各工程に携わる職人たちが費やした時間と苦労のている京都発のブランドだ。中でも田端さんが注目し重みでもある。だからこそ「自分の工程での失敗はたのは、名古屋にある絞りの有名産地、有松鳴海と決して許されない」と、職人たちの技は一層研ぎ澄まのコラボレーションを取り上げた記事だった。されていく。「正直言うと、もう仕事を辞める決心は固めていま「雪花絞り」の足跡をたどるした」という田端さんだが、それでもSOU・SOUの門をところが、田端さんが仕事を始めて2年ほど経つと、叩かずにはいられなかった。「これが最後」という気絞り業界を取り巻く状況は急激に悪化していく。和服持ちだった。の需要低下、安価な中国生産への移行などのあおSOU・SOUとの提携が決まったのは、間もなくのこりを食って、田端家でも仕事の量はみるみる減ってとだったという。いった。田端さんがSOU・SOUに卸す絞りも、技術自体は田端さんには、妻も幼い子どもたちもいる。だがこ伝統的なものだ。ただ、大きく異なるのが素材だった。のままでは、家族を食わせていくことができない。も絹製品を多く取り扱ってきた京都の絞り染め業界にう、絞りの仕事を辞めて、再就職をするしかない。は、SOU・SOUが企画するような綿・麻・ウールといった素材の染めに関して、ノウハウを持っている職人そこまで追い込まれたときだった。田端さんはインがほとんどいない。仕方なく、田端さんは自分で染め雪花絞りの準備段階。布地を三角形に折りたたんでいく。板締めに使う板も、田端さんの手づくり。その種類は、柄に応じてさまざまだ。畳んだ布の両端を板で挟んで絞め、これを染料に漬ける。染め終えて板を外すと、連続した美しい紋様「雪花絞り」ができあがる。


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