技術がいど2012-201501


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の勉強も始めた。正絹製品以外は京鹿の子絞りを「伝統工芸の価値って、仕上がった商品そのもの名乗れないため、製品には「たばた絞り」という名前の魅力だけではないんです。そこには手仕事での製を冠することになった。作の過程や、先人が積み重ねた苦労と年月の重みがある。僕も、雪花絞りの足跡をたどりながら、それSOU・SOUとの取り組みを通じて、田端さんの絞りを肌で感じました。そういうことを考えだしたら、もうは大きな転機を迎えることになる。その象徴的な一意地でも後に引けなくなってしまって……」例が「雪花絞り」と名付けられた紋様だ。「雪花絞り」とは、有松鳴海の伝統工芸士が「板締2011年、田端さんはついに独力で「たばた絞り・京め」と呼ばれる技法で絞る紋様の一種で、現代でも雪花」を完成させた。たばた雪花の商品は、現在、売高い人気を誇っている。ただし、絞りと染めの手法はり切れが続出するほどの人気商品となっている。門外不出とされており、これまでに多くの職人が試みたが、同じ紋様を出すことはかなわなかった。絞り染めの「入口」をつくるSOU・SOUとの提携を通じて、田端さん自身は窮雪花絞りを自分の手で実現できれば、さらに大き地から救われた。だが、伝統産業界全体を包む「跡な販路が開けることになる。――そのために有松鳴継ぎの不在」という問題は、絞りの業界において、も海まで出向いて教えを乞う、という手段もないことはう一刻の猶予もない切実さで迫っている。なかった。だが、田端さんはそうしなかった。「隣の人の答案を見て100点を取っても、職人として満足のい京鹿の子絞りの30代職人は、現在のところ田端さく結果とは言えない」。田端さんは、ゼロから自分のんただ一人。20代はもちろん、40~50代の世代にも力で雪花絞りの研究に取り組むことにした。職人はいない。もし今、田端さんが仕事を辞めたら、世界に誇れる絞りの技術がひとつ絶えてしまうことに結果、何十万円単位の染料と1,000枚以上の手ぬ直結するだろう。それと同じことは、すでに業界のあぐいが、一銭にもならず、ただのゴミになって積み重ちこちで起こりつつある。なっていった。ひとりの職人が一度に背負うには、ずいぶん重い損害だ。だが、失敗を重ねながら、ふと「今、一番に研ぎ澄まされた熟練の技術を持って「もしかして、先人も、ここでこうやって自分と同じ失おられる世代といったら、60代~80代の職人さんで敗をしたんじゃないか」。そんな思いになることが増す。この世代の方々が、今後、引退や廃業で徐々にえていった。辞めていかれるにつれて、後進に引き継がれることなく、多くの技が途絶えてしまうことになる。10年、いや、もう5年先には起こってくるはずの大問題です」だが、田端さんはこうも感じている。「大儲けしたいとは夢にも思いませんが、“食っていけない”となると話は別です。生業として成立していないのに、貴重な技術だから継承せねばならないというのは、ただの実現不可能なきれいごとに過ぎない。どんなに文化的価値のある仕事でも、せめて職人とその家族くらいを養える仕事でなければ続き「雪花絞り」の華やかな浴衣。プリント生地には出せない、手仕事ならではの味わいが醍醐味だ。ませんよ」


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