日本の素材百科
第3回

楮と和紙

日本の家屋において「紙」が果たしている役割は大きい。古くから、和紙は筆記用具としての用途にとどまらず、襖や障子紙、提灯に傘など、暮らしのさまざまな部分で日本人に長く寄り添ってきた素材のひとつだ。

和紙の原料は、楮(こうぞ)などの樹皮繊維。手漉き和紙の場合、製紙の方法に大きな差はなくとも、原材料の質、水、湿度や温度などの差から、産地ごとに異なる風合いの紙が仕上がるそうだ。和紙は、そうして日本各地に多数ある産地固有の風土を映しながら、今日まで維持されてきたのである。

強靭で保存性の高い和紙原料「楮」

楮はクワ科の落葉低木で、成木は3メートルあまり。栽培が容易で成長が早く、毎年収穫できることも特徴だ。手漉きの和紙が強靭で保存性に優れる理由は、楮繊維が長くて太く、この繊維同士が紙漉きによってよく絡み合うからだと言われる。また、製紙工程に薬品を使わないため、繊維が化学的に損なわれないことも要因のひとつだ。

一方の洋紙は、羽ペンや金属ペンで書写する用途に特化して進化してきた紙だ。これらは主に機械や薬品を使って木材や亜麻・綿の繊維を抽出し、添加剤を加えて色、滑らかさ、風合いなどを調整しながら製紙する。

元来、和紙の製紙原料は、山野に野生しているものを採取するほか、畑のあぜ道、山の傾斜地などを使って栽培することが多かったそうだ。ところが近年は、生産者の高齢化と和紙の消費量の減少に伴って、楮の国内生産量は落ちる一方だという。どの和紙産地でも、国産原料の確保には頭を悩ませる現状がある。

「楮」から紙の原料「紙素」へ

京都府指定無形文化財「黒谷(くろたに)和紙」の産地、京都府綾部市の北部にある黒谷地区は、地名が示すとおり、谷間に位置する集落だ。谷の土地は斜面が多く、農地が狭く、日照時間も少ない。農業に向かない土地において、斜面でも栽培できる楮は、生計を立てる手立てとして大変重要なものだったのだ。

秋が深まり、楮の葉が落ちると楮刈りの時期がはじまる。長い枝を払って一定の長さに揃え、束ねた楮の枝を大きな桶に詰めて蒸していく。かまどで3時間ほど焚き付け、火を消してから1時間蒸らす。蒸し終わった枝からは、容易に樹皮が剥がれる。収穫された楮のうちわずかに約5%、この樹皮の部分だけが紙の原料として使われる。

剥いた黒皮を軒下にぶら下げていったん乾かしたのち、乾燥した黒皮を再び川の浅瀬に丸一日ほど漬け込みながら、何度も足で踏む。こうして柔らかくなった黒皮を削り、傷を取り、美しい繊維だけを選別する。使う道具は、小さな包丁一本きりだ。冬の水は凍てつくほど冷たく、作業には並々ならぬ根気と注意力を要する。

黒皮を手作業で丁寧に取り除く作業
黒皮を手作業で丁寧に取り除く作業

こうしてできた白皮を、ソーダ灰を入れた大釜で一時間半から二時間ほど煮る。柔らかくなった白皮を水に浸して洗いながら、再度、残った黒皮や塵を徹底的に取り除く。たとえ小さな傷ひとつでも、ここで取り逃せば最後、仕上がった紙の上に色ムラや粗として残ってしまう。最終的な品質に大きく影響する工程だ。

石臼の中に白皮を入れて杵で叩き、さらに叩解機にかけて繊維をつぶすと、ようやく、紙漉きに使われる「紙素(しそ)」のできあがりだ。こうしてみると、「和紙作り」という言葉からイメージされる紙漉きの作業は、実は、紙づくりの工程のごく一部。原料を整えるまでに、多大な時間と労力がかかっていることは、あまり知られていない。

「紙漉きの里」が伝える技

水を張った漉き船のなかに、紙素と、トロロアオイの根を叩いて作る粘液「ねり」を混ぜ入れて攪拌する。紙素を含む水を汲みとり、漉き桁を向こうへ、手前へ、また左右へ揺り動かして繊維を絡ませていくことで、頑丈な紙が仕上がる。これが「紙漉き」の仕組みだ。

漉き上がった紙は乾燥機に一枚ずつ張り付けながら乾かしていく。もっともこれはごく近年のことで、古くは、天日干しでの乾燥が当たり前だった。貴重な晴れ間を狙って、紙を貼った干し板が斜面にずらりと並ぶ。かつては、居並ぶ干し板の紙の白さを雪の白さかと見間違うほどの、圧倒的な風景だったとか。

用途開発と人材育成を担う
―黒谷和紙協同組合―

現在の黒谷和紙協同組合では、和紙の用途開発に積極的だ。その一例が黒谷和紙を使った紙布(しふ)、「黒谷綜布」である。幅5mmに裁断した黒谷和紙をより合わせて糸状にし、絹糸と組み合わせて製織したものだ。手織機で織る紙布の例はあるが、手漉き和紙を使い、機械で織りあげることのできる紙糸の開発は、国内外でもきわめて稀な例である。

和紙の需要の掘り起こしを図る一方で、もっとも重要視されるのが次世代の職人育成だ。黒谷和紙協同組合は、黒谷地区以外からも職人の志願者を広く迎え入れるべく、若手職人への研修制度を設けるとともに、共同利用できる作業場の設置と管理、原材料の共同購入、製品の販売と販路開拓などに取り組んできた。

現在、黒谷地区に住まう紙漉き職人はわずか11人。そのうち黒谷の出身者はたったの1人である。裏を返せば、他の職人たちは皆、黒谷和紙協同組合による後継者育成事業に応じて、他地域から移り住んだ人々なのだ。

紙づくりの仕事は、煮て、洗って乾かし、浸して、また洗うの繰り返し。作業には、清らかで水量豊かな黒谷川の水が必要不可欠だ。また、冬の厳しい寒さも、楮の皮から作った和紙原料である紙素や、トロロアオイの粘度を良い状態に保つために重要な条件である。紙づくりの仕事は、黒谷の気候風土と切っても切り離せない、密接な共生関係にある。

黒谷・紙漉きの里は、平家の落武者が、都から逃れて黒谷の地に隠れ里をつくり、紙漉きで生計を立てたことにはじまるという。そこから約800年を経たいま、黒谷は、黒谷和紙に惹かれて外から訪れる職人らを柔軟に迎え入れながらも、生業としての紙漉きの技を変わらず受け継ぎ、伝え続けている。

お話をうかがった人

黒谷和紙協同組合
専務理事 山城睦子さん

黒谷和紙協同組合専務理事 山城睦子さん

黒谷で生まれ、祖母や母の紙づくりを見ながら育ったものの「若いころは、早く都会に出て別の仕事がしたかった」という山城さん。いったんは黒谷を出て会社勤めをしたが、子育てが一段落すると、山城さんは生家に戻り、先輩職人や地元のお年寄りから紙づくりの仕事を教わった。

「技術の継承が途切れたら最後、失われたものを復興することはとても難しくなります。だからこそ、今ある技術を細々とでも未来に繋いでいきたい」。

特に、楮農家と生産量の減少は、どこの和紙産地でも火急の課題だ。黒谷では現在、一部の原料において、職人自身が楮農家から栽培のノウハウを学び、育てるよう取り組んでいる。つまり、原料の栽培から最終製品までの全工程を、職人が一貫して担う。これほど、職人ひとりの職域の広い例が他分野にあるだろうか。

「黒谷での紙づくりの奥深さは、他では経験し難いものです。私自身は、紙を触っていればそれだけで幸せだし、時間の許す限り、ずっと漉いていたいくらい。他の職人もきっと同じ思いでしょう。自分の漉いた紙が数百年後に残ってくれたら、どんなに嬉しいでしょうね」。そんな山城さんの言葉から伺えるのは、伝統を継ぐ大それた使命感というよりも、ただ純粋で深い仕事への愛情だ。黒谷和紙の魅力ゆえにこそ、その技術のバトンもまた、人の手から手へと渡され続いていく。


(取材・執筆/石田祥子  記事監修/黒谷和紙協同組合 専務理事 山城睦子さん)
参考文献:『地域資源を活かす 生活工芸双書 楮・三椏』 田中 求、宍倉 佐敏、富樫 朗/著(2018年/一般社団法人 農山漁村文化協会)

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