世界につながる一冊を
ーKOBELCO書房ー

Vol.3「いつもの散歩道」を科学する

本は、まだ見ぬ壮大な広い世界について語るばかりではない。私たちの暮らしの半径数km、いつもは足早に歩いて通り過ぎるだけの近所の風景の中に、私たちがまだ知らない歴史が、動植物が息づいていることを教えてくれるものでもある。

わざわざ遠くまで足を運ぶ必要はない。視点を変えて、身近な街を見つめ直してみるだけでいい。読書によって新しい視点や切り口を獲得すれば、見慣れたはずの世界にも、全く別の見知らぬレイヤーが重なっていたことに気付くだろう。今回は、いつもの散歩を新鮮に、刺激的にしてくれる楽しい選書をご紹介しよう。

いつもの交差点に、歴史あり

『東京「多叉路」散歩 交差点に古道の名残をさぐる』

荻窪 圭/著(淡交社/2020/3/12)

古道の交差点は、地形と歴史の雄弁な語り手だ。日本古来の都市空間における「辻=十字路」は、往来の多い交通の要所であり、市場にも集会所にもなる自由で豊かな場所だった。

現代の東京には、古来の主街道や古道が交わるところに新しい自動車道が通り、複雑な多叉路となった場所が数多くある。そのかたわらには、庚申塚や道祖神、一里塚など、「江戸以前」の遺産が存在することもある。古道研究家の著者が「面白い辻・多叉路・追分」を実際に訪れ、古地図と現代地図、現況の写真を用いて詳しくガイドしてくれる一冊だ。

筆者は序文で、東京の街の探索が格別面白い理由について「シンプルで整然として計画的に作られた街より、歴史の速度に街作りが間に合わず誰も全貌を把握できないほど複雑化した街のほうが探検しがいがある」からではないか、と述べている。現在ある多叉路の多くは、歴史の中で増えたり減ったりを繰り返した結果、それぞれに異なる時代の道が重なって形作られたものだ。多叉路の成立の過程には、街の歴史がリンクしているのである。


本書の中に登場する多叉路の中から、ユニークな例を一つ紹介してみよう。江戸城のお堀の痕跡を残す、飯田橋の変則的な六叉路だ。新宿区、文京区、千代田区の3区の境目にある飯田橋六叉路の起源は、実は江戸時代の「水の三叉路」だという。


かつて付近に築かれた江戸城の外堀は、ゼロからの土木工事で掘り進めたわけではなく、紅葉川という川が作った谷地をうまく利用していた。この飯田橋六叉路は、元々、江戸城の外堀だった紅葉川と神田川(当時は江戸川と呼ばれていた)が三叉に合流する場所だったのである。


のちの明治時代、神田川右岸の道路をそのまま伸ばして外堀を渡る橋が造られた。これが、馴染みある現在の地名「飯田橋」だ。この時点で四叉路となり、さらにもう一本の道路が造られて五叉路になり……、六叉路の最新の一本が加わるのは、高度経済成長期。神田川の上を通る首都高速5号線が建設されると同時に、神田川左岸の道が交差点に合流する。


とにかく、東京には複雑な交差点がやたら多い。読者にも「この道は運転しづらいんだよなあ」なんて、ボヤいた経験があるだろう。だが、そうなった経緯を古地図の変遷から紐解いてみると、道を増やしたり、橋をかけたり、そして時には各時代のつじつまが合わなくなったり……、連綿と続いてきた人間らしい営みの過程が見えてくる。「なんでこんなに複雑なんだ」とは言いつつ、なんだか憎めない気分にもなってくるだろう。


また、本書でもう一つ注目したいのは、筆者が実際に現地を歩いて撮影した写真の数々だ。街歩きの初心者にとって、筆者の観察眼と目の付け所がわかる写真の数々は、何より頼りになる現地ガイドである。「この角度からならこれが見える」、「歩道橋に登って俯瞰するとわかる」など、ぜひ古道・古地図研究家の視点を写真から追体験してみよう。本書で「予習」してから現地に赴けば、いつもなら見逃していた景色が見えてくるかもしれない。


見慣れた街、川、そして道路。何の変哲もないように見える現在の街の姿の中にも、過去の人々の営みの痕跡が残されている。秘められた街の記憶を透視する、味わい深い歴史散歩にチャレンジしてみてはどうだろう。



One more!

古地図アプリを活用しよう

歴史散歩がお好きな読者には、タブレットやスマートフォン用の「古地図」アプリの併用をお勧めしたい。アプリによって使える機能や対象地域が異なるので、自身が使いやすいものを探してみてはいかがだろうか。

多くのアプリは、端末の位置情報から現在地の「古地図」を呼び出して参照できるというものだ。中には、現代の地図と古地図を重ね合わせて対照できるものもある。また、地名やスポット名はもちろん、ゆかりのある歴史人物や出来事の名称から任意の場所を検索する機能を持つものもある。実地を歩いている時だけでなく、散歩の「計画」にも大いに役立ってくれるだろう。



いつも聞こえる、あの鳴き声は?

『身近な「鳥」の生きざま事典
散歩道や通勤・通学路で見られる野鳥の不思議な生態

一日一種/著(SBクリエイティブ/2021/2/15)

野鳥は、最も身近な「野生動物」だ。動物園に行かなくても、大自然の中に身を置かなくても、家の周りを散歩するだけで見ることができる。「どうせスズメ、カラス、ハトぐらいでしょ?」と思うことなかれ。これらの見慣れた種類の鳥たちも、一種一種が強烈な個性を持っているし、よく目を向ければ、街なかには1日に何十種類もの鳥を見つけることができるのだ。

身近で出会える、可愛らしくもしたたかな鳥たち。本書は、その生きざまを豊富なイラストと文章で解説してくれる。きっと、散歩や通勤で近所を歩くのが楽しくなるだろう。

家で過ごしているとき、近所を歩いているとき、あるいは通勤途中に、姿は見えないけれど「この鳴き声、よく聞くなあ」と気付くことはないだろうか。静かな住宅街にも、賑やかな繁華街にも、どこにでも野鳥はいる。


たとえば、カラスなんて珍しくもなんともないと思いがちだが、街中で身近に見かけるカラスには、実は2種類いることをご存じだろうか。カアカアと澄んだ鳴き声は「ハシブトガラス」の成鳥。首を上下に揺らしながら、ガーガー濁った声で鳴くのが「ハシボソガラス」だ。


鳥たちの鳴き声は繁殖期の初め、初春ごろに最も盛んになる。ウグイスの「ホーホケキョ」が聞こえると春の訪れを感じるという読者も多いだろうが、注意して聞くと、若鳥の「ホケッ」という、ちょっと下手な歌が聞こえることもある。夏になっても必死にさえずっているホオジロは、春の間にパートナーを見つけ損ねた気の毒なオスで、「既婚か、未婚か」によって各々の鳴き声が全く違う……。本書には、鳴き声に関するものだけでも多くの逸話が紹介されており、読みごたえ抜群だ。


また、鳴き声といえば「聞きなし」についての話題も面白い。聞きなしとは鳥の鳴き声を人の言葉に置き換えることで、たとえば、初夏のホトトギスの鳴き声は「トッキョキョカキョク(特許許可局)」。定番の聞きなしの中には、遊び心にあふれたものや、時代を感じるものもあり、国や文化の違いも出るという。


バードウォッチングというと、いかにも本格的な趣味のようだが、そう構えることはない。野鳥の多くは朝に活発でよく鳴くため、通勤・通学途中の気軽な「ながら鳥見」がおすすめだそうだ。まずは手始めに「正体不明のあの鳴き声」を解明してみるのはどうだろう。


いつもの道端に、ひっそり咲く草花

『そんなふうに生きていたのね まちの植物のせかい』

鈴木 純/著(雷鳥社/2019/9/9)

まちの植物観察家が、道端の植物にずんずん近づいては、個性的な見た目や生き方、謎解きなどをぶつぶつ呟く。本書は、その観察家の行動と視線を追いかけるようにリアルに描かれた「観察紀行」である。

まるで漫画のようなコマ割りで、まちの植物約30点を、500点もの写真を使って紹介してくれる。図鑑によくある植物の全体図だけでなく、さまざまな角度から植物の姿や生態を捉えたものが含まれており、葉に生えている細かい毛の一本まで見えるほどの接写も多い。著者と並んでまちを歩いているような気分で、ワクワクさせてくれる一冊だ。

たとえば、都会のアスファルトの割れた隙間からわずかに顔を出すツメクサ。なんと、こんな場所で、白い小さな花まで咲かせている。いかにも過酷そうな環境に見えるが、案外、こうした道路の隙間には水が溜まりやすく、アスファルトの下には土もある。またツメクサの背丈は非常に低いため、隙間に居れば人や車に踏まれることもない。ツメクサにとっては、競合するライバル植物が少ない“ニッチな優良地”なのだ。


なるほど、こんなところで見つかるのか。ここを注意して観察すると面白いのだな。植物観察に熟練した筆者の視線を追うように、豊富な写真とともに読み進めていける本書は、植物初心者には絶好のガイドになる。


一方、観察紀行の合間に挟まるコラムでは、筆者自身が東京農業大学の学生だったころの経験談が印象深い。筆者自身も、学生時代に植物の葉の見分け方を習ったものの「ただの葉っぱにしか見えなかった」というエピソードだ。ところがその日の帰り道、筆者はいつもの通学路で、教わったばかりの植物を難なく見つける。あれもこれも、ずっとそこにあったのに、以前は見えていなかったのだ……。


筆者の肩書である植物観察家とは、読んでそのまま“植物を観察する人間のこと”。研究者でも、専門家でもない。誰にでもなれる。あえて敷居の低い肩書きを自らに付けることで、植物観察が「誰にでもできる、誰にでも楽しめる」ことを伝えたいのだという。


いつも足早に通り過ぎるだけだった通勤コースにも、どこかにきっとツメクサの居場所があるはずだ。ただしそこは、いつもよりも低く身をかがめて、注意深く眺めなければ見えない場所かもしれない。少し歩調を緩めて、いつもの道に重なっているはずの別世界を探してみてはいかがだろう。

(文:石田祥子)




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