日本の素材百科
第12回

蝋と和ろうそく

古代の人類は、火を使って暖を取り、暗闇を照らし、食材を調理し、さまざまな生活の道具をつくった。時には獣から身を守る武器になり、狼煙を上げれば通信手段にもなった。その一方で人々は、人の力では制御できない野火や火事災害を強く畏敬した。火は、古くから人々の信仰や崇拝の対象でもあったのだ。

日本では、和ろうそくの製造は江戸時代に最盛期を迎え、主に神事や法要の灯火として使われてきた。以来、ほとんど原料や製法を変えることなく現代にまで受け継がれ、いまも、あたたかい光で人々の心を癒やしている。

西洋ロウソクと和ろうそく

西洋ロウソク(キャンドル)は、主にパラフィンという石油由来の鉱物油を水素添加によって固め、これに細い木綿糸の芯で点火する。一方、和ろうそくの原料となるのは植物性の蝋(木蝋)で、櫨(はぜ)の実や米ぬかなどの植物性原料から抽出した蝋分だ。芯は、削った鉛筆のように先端の尖った、太めの灯芯が用いられる。粘りの強い木蝋を効率よく吸い上げるために、表面積の大きい芯が必要だからだ。

ろうそくが燃えている間は、炎の熱で蝋が溶けて液状になり、それを灯芯が吸い上げる。これが芯先に灯った火を維持する燃料になる。和ろうそくの場合、溶ける蝋のスピードと量に対して、芯が吸い上げることのできる蝋がちょうど釣り合うように設計されているという。だから、和ろうそくはほとんど蝋垂れしない。また、灯芯が太いために炎は大きく、美しく揺らぐが消えにくい。燃焼時の臭いや油煙、煤も少ない。



櫨(はぜ)の和ろうそく

櫨の木はウルシ科の落葉樹で、冬に葉が枯れ落ちる頃、小さな丸い実をたくさん付ける。この木の実から抽出される蝋分が、櫨蝋だ。融点はおおよそ50℃前後で、凝固点は30℃付近。いったん50℃付近で溶けると30℃付近に下がるまでは固まらない。常温では固体になる。

和ろうそくの軸は、筒状に丸めた和紙である。ここに灯芯草をぐるぐると巻き付ける。灯芯草とはイグサ科の植物で、草の内側から白い髄だけを抜き取って乾燥させたもの。巻きつけた灯芯草の上には、さらに真綿(絹)の繊維を絡ませて留める。この灯芯は、ろうそく本体の直径に応じて、太さや長さの異なるものをそれぞれ用意する必要がある。

灯芯を右手に持って回転させながら、左手でぬるま湯程度の温度にした蝋をすくい取って灯芯に塗り付ける。乾いたら、再び塗り重ねる。このようにして、薄い蝋の層を年輪のように幾重にも重ねて、少しずつ太さを増していく。「手掛け」と呼ばれる伝統的な技法だ。

最後に、ろうそくの外側をコーティングするように液状の蝋を掛けると、ろうそくの表面は美しく滑らかに仕上がる。この「上掛け蝋」には内側の蝋よりもわずかに融点が高いものを使う。ろうそくが燃える際、外縁部の溶けるスピードは内側よりもほんの少し遅いため、常に外縁部は内側よりも位置が高くなる。上掛けは、単なる仕上げの処理ではなく、蝋の垂れを防ぐ知恵でもあるのだ。

櫨の和ろうそく


米ぬか蝋の和ろうそく

玄米を削って精米する際に出る糠層の粉(米ぬか)には、20%程度の油脂が含まれている。これを植物油として利用するのが「米油」だが、この油の中には、さらに1.5%ほどの米ぬか蝋が含まれている。

米ぬか蝋も櫨蝋と同じく常温では固体で、光沢があり、硬く滑らかな質感だ。櫨蝋よりも融点が高く、70 ~ 80℃で溶ける。通常、芯を入れた木型・金属型に蝋を流し込んで固める「型掛け」と呼ばれる方法を用いてろうそくに成形される。


「お米のろうそく」――和ろうそく大與

滋賀県高島市にある「近江手造り和ろうそく大與」は、1914年(大正3年)創業の老舗である。仏事、茶事をはじめとする暮らしの用途に向けた和ろうそくを手仕事で作り続け、2014年には100周年を迎えた。

この100年間で、人は身近に火を使う暮らしから大きく遠ざかってしまった。調理や給湯も、空調もそうだ。このまま技術が進めば、和ろうそくに限らず「火」そのものすら、100年後の私たちの傍に在るかどうかはわからない。

「100年後も続くかどうか」。これは、地球環境と資源の問題にもリンクする命題である。かつて、大與にもコストダウンと大量生産の要求が押し寄せた時期があった。たとえば、希少な植物原料だけでなく安価な石油系原料を混ぜて製作すれば、コストカットは不可能ではないだろう。そのニーズに応えようと、実際に材料の混合を試みたこともあるという。

だが、材料の配合を変えるということは、江戸時代から受け継がれてきた和ろうそくの緻密な設計図を手放すということでもある。すでに手の内に完璧な和ろうそくがあるというのに、多大な労力をかけてまで安いだけの品物を作る必要があるのか。自分たちがすでに持っているものの中にも、実は、まだ現代の人々から求められる価値が眠っているはずではないのか。

そこで大與は、持続可能な植物性原料100%の商品として、米ぬか蝋による「お米のろうそく」を開発。2011年にはグッドデザイン賞・中小企業庁長官賞を受賞した。未来に向かって枯渇していくばかりの石油原料ではなく、この先もずっと、無理なく継続して自然の実りから原料を得られることを重視したい。それが大與のメッセージだった。

「お米のろうそく」には、もうひとつの逸話がある。ここから派生した「お米のティーライトキャンドル」は、レストランでの間接照明など業務用途を狙って開発されたが、当初、価格の高さから全く売れなかったという。ところが、同じものを購入した一般の個人客からは「オーガニックでエコな国産素材が良い」、「芯が太くて炎が消えない」、「最後まで使い切れる」などの声が数多く上がり、大ヒット商品となったのだ。

100年先の未来へ連れて行ってくれると期待される商品が、現代の時流に乗り、“バズって” エンドユーザの手元に届き、やがて多くの人の暮らしに取り入れられていく。これは、次の時代を示唆する象徴的な出来事のようにも感じられる。

ろうそくひとつで環境問題が解決するわけではない。それでも、その小さな灯りは持続可能な未来への道筋を照らし、私たちに、進むべき方向を示そうとしているのだ。

※主にSNSなどインターネット上の投稿が「Buzz(バズ)」=話題となって多くの人の注目を得ること。


お話をうかがった人

「和ろうそく大與」
代表取締役 大西 巧さん

コロナ禍が本格化する直前の2019年、和ろうそく大與 四代目の大西巧さんは、アメリカへの出張を敢行した。海外販路を拓くためにロサンゼルスからニューヨークまでを回る、長い営業ツアーだった。

「小さな米ぬか蝋の和ろうそく『まめ』を現地のディストリビューターに見せたら、最初、こんな小さいの絶対に売れないって言われたんです。でも実際には、これが海外向けでは一番の売れ筋になった。わからないものですよね。燃焼時間が15分しかないのを利用して“メディテーション(瞑想)のタイマーに使う”という人もいましたよ」。

作り手や商人などのプロが想像するニーズと、現実の消費の場にある現実は、しばしば食い違うことがある。だが、以前は見えづらかったユーザの姿は、いま、特にSNSなどを通じてずいぶん鮮明に見えるようになった。同様に、作り手側からの情報発信も容易になった。

一方、手仕事の中身は100年経っても変わらない。現場には「手掛けで独り立ちするには10年かかる」という言葉があるという。日々の気温や湿度と蝋の状態を見極め、何度も季節を繰り返しながら経験を積まなければ職人としての手業は身に付かない、という意味だ。大西さん自身も、その年月を背負う重さを知っている。

「ご先祖さまに恥ずかしくない仕事を、お天道様に顔向けできる仕事をしなきゃと思ってるんです。それからもうひとつ、僕らは蝋の生産者さんや取引先も含めた大きなサプライチェーンの中にいて、いつの時代も支え合いながら仕事をしてきました。現世代の僕らには、みんなが幸せに仕事を続けられるよう次世代に繋ぐ責任もある。仕事を守るためにも、柔軟に、お客さんの声に耳を傾けていきたい」。

伝統の重さと、新しい時代が求めるもの。大西さんは、その二つがちょうど均衡する場所に立って、次の100年を照らし続けている。


(取材・執筆/石田祥子  記事監修/大西巧さん)
参考文献:『和ろうそくは、つなぐ』 大西暢夫 著(2022年/アリス館)




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