日本の素材百科
第15回

和紙と提灯

日本人になじみ深い庶民の灯りといえば、提灯。元来は手から“提げて”夜道を照らすためのものだった。屋外で持ち歩く提灯の風防として、破れにくく強靭な和紙は、格好の素材だったのである。特に江戸時代以降、ろうそくの生産量が上がるのにともなって、庶民の灯りとして提灯が広く普及したようだ。

現代において、日常の照明はろうそくから電灯へと移り変わった。それでも、和紙を透かして広がるやさしい灯りは、寺社の提灯や店舗の屋外看板に、あるいは室内装飾に、ときにはモダンな和風照明として、形を変えながら長く人々に愛され続けている。

和紙照明は丈夫で長持ち、表情豊か

和紙の代表的な原料は楮(コウゾ)や三椏(ミツマタ)などの木の樹皮だ。製紙材料となるのは樹皮の内側にある白皮で、これを柔らかくなるまで煮てから繊維を叩きほぐす。洋紙の場合、繊維が1ミリメートル以下になるまで叩いて細かくするのが一般的だが、和紙の場合は5 ~10ミリメートル程度、繊維の形をある程度残したまま紙に漉くことが多い。長い繊維同士が紙漉きによって結合することで、強く丈夫な和紙になるのだ。

和紙の繊維は密度が低く、すき間が多い。こうしたすき間を通り抜ける際、光は繊維に乱反射して広がる性質がある。そのため、和紙を透過した光は、どの方向から見ても均一に美しく見えるのである。

提灯の「巻骨式」と「地張り式」とは

細長く割った竹の骨を、木型の上から、らせん状に巻きつけて成形する。この、らせん状に巻いた骨に和紙を貼り付けて仕上げたものが「巻骨式」の提灯である。現代提灯における主流であり、比較的小ぶりのものなら、短期間に大量生産できることが利点だ。たとえば祭りや催事に数多く並べて使われる提灯は、現在、ほとんどが巻骨式である。

一方、割った竹を何本もの輪にして木型の上へ平行に並べ、各段の輪どうしを糸でかがり止めることで提灯の形に成形するのが「地張り式」の提灯である。頑丈で、高さ2メートルを超えるような大型提灯も作ることができるほか、耐用年数も長く、屋内なら軽く10年以上、屋外でも数年は壊れず使用できる。巻骨式よりも古くから用いられてきた技術だが、巻骨式に比べると格段の時間と手間がかかる手法で、それゆえ大量生産もむずかしい。

エースホテル京都の室内照明。
円形の骨が平行に何本も組み合わせられている


地張り式提灯の「骨組み」製作工程

はじめに竹を細長く割ってひご状にする。骨は、竹の面を残した平骨を用いる。平骨を用いることで紙との接着面が広くなり、非常に堅牢な仕上がりになる。

提灯の膨らみは均一に見えるが、実際には中央よりも上側に偏って膨らんでいる。これは、提灯が“上から吊るして、下から見上げられる” ことを想定して設計されているからだ。地張り式提灯は一本ずつ独立した骨で輪をつくり、各々の円周の差によって膨らみを調整する。そのため、まずは竹の骨を一本ずつ、長い定規板に沿わせて必要な長さに切り分けていく必要がある。

切り分けた竹の骨の両端を和紙で巻いて留めたら、輪状になった骨に力を加え、真円になるよう整える。続いて輪状の骨を提灯の木型上に配置し、となり合う輪どうしを糸でかがり止めていく。すべての輪を上下方向に繋ぐため、仕上がった提灯は、縦方向の引っ張りに強くなる。また、ひとつの輪は上から下へ放射線状にのびた複数本の糸で支える構造になっており、たとえ一部分の和紙や糸が破損しても全体への影響は小さく抑えることができる。

木型の上に円形の骨を配置して、糸でかがり止めていく


分業制から一貫製作へ―株式会社小嶋商店

絵付けの様子

組みあがった提灯の骨に糊を塗り、和紙を貼り付けると、ようやく提灯の形が見えてくる。この状態のものを「白提灯」と呼ぶ。先述の通り、提灯は中央よりも上側に片寄って膨らんでおり、さらには下から見上げても文字や紋、絵柄が歪んで見えないように描き入れていかねばならない。絵付けは高い技術と経験を要する工程で、従来は、分業制の最後に専門の職人が行う仕事だった。

京都市にある株式会社小嶋商店は、長年、白提灯の卸売を担当してきた問屋だ。しかし近年、安価なビニール提灯が登場したことや、職人の高齢化が進んだことなどが影響して、地張り式提灯を製作できる職人の数は年々少なくなっていくばかり。このままでは近い将来、提灯の分業体制が立ち行かなくなる懸念があった。

そこで小嶋商店は、先々代から先代までの代で竹の骨づくりから絵付けまで各工程の専門技術を取引先から学び、自工房内で製作できる体制を徐々に構築した。現在は、地張り式提灯の竹割りから絵付けまで、全工程を一貫製作する工房へと生まれ変わっている。


特別な空間と体験を、灯りで彩る

日本で「提灯」といえば屋外照明、それもお祭りのイメージが根強い。しかし「短納期で大量に、安く作る」という点において、地張り式提灯が、巻骨式やビニール提灯とシェアを争うには無理がある。もっと付加価値の高い分野への展開を狙う必要があった。

そこで、小嶋商店はアートディレクターやフォトグラファーなど、さまざまな分野のクリエイターの手を借りながら、SNSでの情報発信を強化することにした。完成した提灯の美しい写真を実績として紹介するとともに、工房での仕事の様子、作る工程などを和英併記で投稿すると、国内外から多くの好意的な反響が寄せられた。まもなく、インテリア用途の室内照明やユニークな看板提灯の問い合わせや依頼が徐々に増えはじめた。

とりわけ新しい試みのひとつが、2023年12月に行われたイベント「DINING OUT HIEIZ AN」である。比叡山延暦寺で企画されたラグジュアリー・ツアーで、ゲストらは延暦寺の宿坊に宿泊し、伝統的な精進食や法話など豊かな文化体験を楽しむ。期間中、小嶋商店による大提灯のインスタレーション作品が、大書院の庭をやわらかい光で彩った。

小嶋商店は、ものづくりの職人集団だ。デザインや空間演出のノウハウなど持っていない。延暦寺の僧侶やイベントに関わるスタッフらと協業するような大きいコンセプトワークの経験もなかった。だが、自工房内での一貫製作体制を築き、情報発信の方法を模索する過程で、現代的なアートワークの専門家たちに数多く出会うことができたのは幸運だった。

本来なら「提灯屋」の手には余るような仕事だった。だが、ものづくり以外の分野で活躍する仲間の協力を得てチームを組織することで、それまでは断るしかなかった総合的な仕事を、自工房で手掛けられる範囲に持ち込むことができた。この経験が、小嶋商店の次のビジョンに繋がった。それが「提灯のある風景」をまるごと作る、空間プロデュース分野への挑戦である。

灯りは場を照らし、雰囲気をつくり、人々のかけがえのない体験の一部になるもの。小嶋商店はいま、その灯りをともす起点になろうとしている。

左より「DINING OUT HIEIZAN」のインスタレーション作品、カリモク家具とのコラボレーション照明、京都「南座」の看板提灯


お話をうかがった人

「株式会社 小嶋商店」
提灯職人 小嶋 諒さん

小嶋商店は、江戸時代 寛永年間(1789 ~1801年)の創業とされている。初代の小菱屋忠兵衛は、もとは曲げわっぱの工房で修業した職人だったが、師匠の娘と結婚して独立する際、義父となった師匠と生業が被るのを避けて別の事業を立ち上げたのだという。ちょうど当時は、提灯が庶民の間に普及し始めて需要の多かったころ。そこに目を付けて、曲げわっぱの木を曲げる技術を転用し、提灯の部品を作る職人として独立したのがはじまりだと伝わっている。

小嶋諒さんは、それから200年以上を経た現在の小嶋商店10代目だ。9代目である父の護さん、兄の俊さんらとともに不況の苦しい時代を越えてきた。特に、コロナ禍の間はイベント関連の仕事が急減したが、幸い、海外からの引き合いが増えた時期でもあった。たとえば、カリモク家具とデンマークのデザイン会社とのコラボレーションだ。小嶋商店が製作協力した三角錐型のモダンな室内提灯は大反響を呼び、見事に商品化の運びとなった。

「提灯の技術といってもいろんな観点がある。“光る” ことだけに注目するんじゃなくて、照明器具としてのデザインの自由度も案外高いし、“畳める” っていうのも良いところなんですよね。こういう日本らしい技術の用途を、インテリアでも、家具でも、空間演出でもいい。いろいろ挑戦して増やせたら面白いんじゃないかなと思ってるんです」。

小嶋商店の核が提灯づくりの技術であることに変わりはないが、手持ちの技術をどう使うのかについては、時代と、仕事を担う人物次第だ。この柔軟さが、小嶋さんの手掛ける仕事の幅広さの源泉なのだろう。

「自分たちが頑張って浮上していくことで、これから工芸の世界に入ってくる人たちの希望になれたらいいと思う。まだまだ至らないんですけど」。

小嶋さんの挑戦は、提灯のある未来の風景を作る試みだ。彼の仕事は、人々が集って憩う場所に、いつまでもあたたかい灯りをともし続けるだろう。


(取材・執筆/石田祥子  写真撮影・提供/株式会社小嶋商店  記事監修/小嶋諒さん)




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