Vol. 04
楽芸工房 伝統工芸士
村田 紘平さん
五色金重
引箔は、先染めの織物である西陣織の帯において、非常に特徴的な素材のひとつだ。まず和紙の上に漆を塗って、さらに箔を重ね模様を描いて原紙をつくる。これを糸状に細く裁断したものを「箔糸」という。「引箔(ひきばく)」とは、箔糸をヘラに引っ掛けながら緯糸に織り込むことから呼ばれるようになった名だ。箔糸はあくまでも糸状の紙だから、通常の糸とは異なって表裏があるうえに、織る順序を誤ると意図した模様にならない。そのため引箔を扱う織手には、特に高度で複雑な技術が要求される。
「五色金重(ごしききんがさね)」は、村田さんの祖父が約60年前に考案したもので、楽芸工房を代表する図案である。色の異なる箔を5層に重ねて描き出す、平面でありながら深い奥行きを感じさせるデザインだ。
滋賀県大津市にある楽芸工房の創業は、平成元年。村田さんが子どもの頃は、工房内にはいつも何十人もの職人が並んで座り、箔を貼っていた。当時は織機も設置しており、織手が扱う機の音が絶えず聞こえていた。近隣にある滋賀大学からは、学生らがたびたび見学や手伝いに訪れた。村田さんは「自分が家業を継ぐとか継がないとか以前に、当時の工房の様子を見ても、父が一体何の仕事をしているのかよくわからなかったんです」と振り返る。
転機となったのは大学進学を目前に控えた春休み、父から手伝いのアルバイトを持ちかけられたことだった。工房に行くと、そこには大量のテーブルがずらりと並んでいた。父に尋ねると、これらは有名ハイブランドの商品ディスプレイ用テーブルで、これから天板部分に箔の加飾を施すところだという。
自分の仕事が、世界的に名を知られたハイブランドの店内で多くの人の目に触れるなんて、それまで考えたこともなかった。衝撃的だった。父は、こんなに大きな仕事をしていたのか。それから村田さんは、大学に通いながらがむしゃらに仕事を覚えた。
「父はもともと柔軟な人で、帯を作ることだけが伝統を守ることだとは考えていないと思うんですよね。どんな仕事もやってみるべきだ、工芸の本質さえ保っていれば何に挑戦してもいいんだと、一貫して背中を押してくれることに感謝しています」。
はじまりは、西陣織の販売会などで購入してくださったお客様に気の利いたノベルティグッズをお渡ししたいと考えたことだった。そのとき考案したのが、箔を施したお箸だ。
お箸は好評を博したものの、次第に箸への問い合わせが増え始め、単なるノベルティでは済まなくなってしまった。そこで京都市内の小売店に箸を持ち込んで見てもらうと、すぐに取り扱ってもらえることになった。そうこうしているうちに、今度は展示会で箸を見た台湾の文具メーカから、真鍮のペンの軸に箔を貼れないかという商談が舞い込んだという。いずれも現在に至るまで、ロングセラーの人気商品として販売が続いている。
国内外の展示会はもちろん、SNSを通じても声がかかる。村田さんの手掛ける仕事はさらに派生して、今やファッション、内装、アートパネルやイラストレーションなどの分野にも及ぶ。木材、鉄や真鍮などの金属、そして皮革や樹脂素材のような伸縮性のある素材まで、これまで誰も踏み込んだことのなかった素材にも箔を施す経験ができた。
これらはいつも、誰かから打診をもらうたびに、ひとつずつ悩んで方法を見つけてきたものだ。「だから、いろんな人と分野を越えて出会う機会を大切にしたい」と村田さんは言う。新しい視点と殻を破るきっかけを与えてくれるのは、いつも、出会った人たちとの多様な繋がりだった。
通常、西陣織の引箔には主に箔を染料で染めてつくる「色箔」が使用されてきた。帯の世界では“永遠の美しさ”が好まれることから、時間が経ってもほとんど変色劣化しない色箔が重宝されたのだ。一方、銀箔を硫黄と熱で処理し、硫化反応によって銀の色を変化させるのが「焼箔」だ。焼箔は、年月を経るうちに色の濃淡などが変化することから、通常は帯地用には使われない素材である。
色箔の華やかな様相とは異なり、焼箔のそれは静かで趣のある佇まいだ。「侘び寂び」とは、ものが時間の経過によって古び、うつろう風情を尊ぶ日本の美意識を示した言葉だが、この言葉に沿うように、年月を経た古い焼箔には特有の渋みと落ち着いた風合いがある。村田さんは、こうした良いエイジングを経た焼箔を「古箔」と呼んでいる。
村田さんは、国内の主要金属箔産地である石川県金沢市の職人たちとも連携を取りはじめた。楽芸工房からは手持ちの貴重な焼箔をたびたび産地へ貸し出しており、産地は若い焼箔職人を積極的に育てたい意向だ。
「楽芸工房が現在所有する古箔は、すべて祖父が収集して、僕ら子や孫のために残してくれたものです。これがあるおかげで、今、僕らは仕事ができる。だから僕も今、産地に足を運んで、後に続いてくれる人たちのために良い箔を買い集めています」。
2021年、村田さんはBMWとの「日本の名匠プロジェクト」に参加した。西陣織による特別仕様の内装で「BMW X7 NISHIJIN EDITION」をつくるプロジェクトだ。
車内天井部分を覆う大きい図案は、村田さんの父である二代目・村田輝義氏が担当。息子である村田さんがセンターコンソールのパネルとボックス部分を担当する、親子二代での協業となった。革張りのボックス部分は、和紙ではなく皮革の上に箔を貼り、それを通常の引箔と同じように細く裁断して織りあげた。
焼箔は、時を経るうちに少しずつ輝きや色が変化する。これが「時とともにうつろう」というBMW側の示したコンセプトと見事に調和し、高い芸術性で注目を集めた。さらに昨年2025年には、第四弾「BMW X7 NISHIKI LOUNGE」が発表された。こちらは明るいイメージだった「NISHIJIN EDITION」から一転、闇の中でしっとりと光を放つように深みを増した夜の世界観を表現している。
「祖父も型破りな職人で、ほぼ御法度だった焼箔を使って西陣織の帯を作っていたと聞いています。その祖父から父へ、父から僕へと何度も聞かされているのは、古箔を使い、時間が作り出す価値をテーマにしてものを作る意識を持つようにということ」。
いま、楽芸工房の仕事が多くの人の目に触れるようになったことで、焼箔の生産を再開する、あるいは焼箔をアートなどの多様な分野で活用するなど、うれしい話題が耳に入るようになってきた。自分ひとりでと気負い過ぎる必要はない。説得力のあるものづくりをして焼箔の注目度が上がれば、より多くの人が関わる機会もおのずと増えていく。
「これなら自分もやってみたい、関わってみたいと思ってもらえるような仕事のアーカイブを作ること。後に続いてくれる人のために、できるだけ多くの可能性を提示しておくことが僕の仕事だと思ってるんです」。
続けたい、残したい、やってみたい。そう望んで歩む人の思いが、伝統をさらに前へ進めるための推進力になる。
西陣織は多品種少量生産の高級絹織物で、主力は豪華絢爛な女性着物帯だ。製織までに非常に数多くの準備工程があることでも知られ、その各工程は、図案、撚糸、糸染、整経など、20分野以上の職人がそれぞれ独立して事業を営んでいる。ここでの分業制は、高度な専門化と言い換えてもいいだろう。各々の分野において研ぎ澄ませた専門技術を持つ事業者らが、織屋の号令のもとに結集して最高峰のものづくりを目指す構造だ。
ところが、徹底して細分化された分業制は、現代になって、産業の存続を脅かす要因のひとつにもなっている。和装需要の落ち込みと時を同じくして各工程の職人の高齢化が進んでおり、職人の引退や廃業に伴って工程のどこか一か所でも欠けてしまうことがあれば、業界全体が技術継承の困難を抱えることになる。
引箔は帯の地模様・背景を織るための材料だ。箔屋も出しゃばらず「引き立て役」としての役割を求められがちになる。だが、こうした空気を破って楽芸工房が創始から三代にわたって“異端”であり続けることは、新しい風を呼び、業界を牽引する次の一手になるかもしれない。